昔の先生は、
『不思議なご守護を咲かすには、不思議な種を植えにゃならん。』
と言われ、「不思議」とは「思考も議論も不要」という意味で、、、
おやさまは、『アホウに手柄さす』とも仰せられたように、
・頭では理解できないこと。
・理屈では分からないこと。
・根拠も証拠もないこと。
を実行した時に「不思議な種」を植えることが出来ると教えて頂きます。
おやさまは、
『叱られて喜ぶから助かるのや。』
『人の嫌がる勤めは余計に喜んでするのやで。』
『人が悪口を言うたらその人の後ろ姿を拝んで通るのやで。』
と、一瞬『えっ!?』と思うようなことを教えて下さっておられますが、
「論は不要」のアホウの精神で「仰せのまま」に実行すると、
『えっ!?』と驚くような理屈を超えた「不思議な守護」が、
目の前に現れてくることを学ばせて頂きます。
また、おやさまは、
『この道は知恵学問の道やない。』
とも仰せられ、神様のお言葉にも、
【論はちょっともいらん。】(M22.7.26)
と教えて下さっているように、、、
“仰せのままに”
この「アホウの心」が不思議な守護を咲かす種になることを思い出して・・・
今日は、「論は不要」の素直な心で、理の実行を楽しみたいですね。
コメント