128.天の通知簿

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『優等生とは、「優れている人」ではなく、「優しさが等しい人」である。』

と聞かせて頂き、どれだけ「能力が優れているか?」ではなく、

どれだけ「等しく優しいか?」が天の基準であることを学ばせて頂きます。

ある時、本席様(飯降伊蔵先生)が、側にいた青年さん達に、

『寝ている者(寝坊している者)と、起きている者と、どっちが悪いと思うか?』

と尋ねられると、『寝ている方が悪いです。』と青年さん達は答えました。

すると本席様は、『そうやないで。』と仰せられ、、、

『寝ているのは因縁のためや。それを側(かたわら)で起きていながら、

起こしてやらぬのは理の親切がないのや。』

と教えられたと伝えられています。

神様から見れば、

『どうして寝坊するのか?』ではなく、

『どうして起こしてあげないのか?』と、

「優しさ」が無いことの方が残念に思われると教えて下さいました。

神様のお言葉にも、

【見ても見ん振りするほど辛い事無い。】(M31.2.31)

【見んならんも前生いんねん。】(M24.7.7)

とあるように、神様から見た「優等生」になるためには、

“優しさを等しく与える”

この心に天の高評価がつくことを思い出して・・・

今日は、お道の優等生を目指したいですね

よかったら身近な人に届けてください
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この記事を書いた人

〜自然の理を真心で通る〜

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