『優等生とは、「優れている人」ではなく、「優しさが等しい人」である。』
と聞かせて頂き、どれだけ「能力が優れているか?」ではなく、
どれだけ「等しく優しいか?」が天の基準であることを学ばせて頂きます。
ある時、本席様(飯降伊蔵先生)が、側にいた青年さん達に、
『寝ている者(寝坊している者)と、起きている者と、どっちが悪いと思うか?』
と尋ねられると、『寝ている方が悪いです。』と青年さん達は答えました。
すると本席様は、『そうやないで。』と仰せられ、、、
『寝ているのは因縁のためや。それを側(かたわら)で起きていながら、
起こしてやらぬのは理の親切がないのや。』
と教えられたと伝えられています。
神様から見れば、
『どうして寝坊するのか?』ではなく、
『どうして起こしてあげないのか?』と、
「優しさ」が無いことの方が残念に思われると教えて下さいました。
神様のお言葉にも、
【見ても見ん振りするほど辛い事無い。】(M31.2.31)
【見んならんも前生いんねん。】(M24.7.7)
とあるように、神様から見た「優等生」になるためには、
“優しさを等しく与える”
この心に天の高評価がつくことを思い出して・・・
今日は、お道の優等生を目指したいですね
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