昔の先生は、
『苦労に守られているのやで。』
と教えて下さり、自分の思い通りにいかない事柄は、
我(因縁・クセ性分)の「押さえ石」のようなものだと言われ、、、
人間、「好き勝手が出来る」=「至福の喜び」だと思いがちですが、
【勝手の道通りて因縁という。】(M24.5.10)
と、よっぽど自分の心を「律する力」が無ければ、
“クセ性分(因縁)”に流されてしまう、、、
という「心の綱引き(徳 vs 我)」が、
心の中で日々行われていることを教えて頂きます。
・自由を妨げる出来事。
・好き勝手を止められている時。
・自分の思いが通らない相手。
これほど心苦しい気分は無い中で、一つの心の治め方として、、、
“「重り」=「お守り」”
という自分の「因縁事」に、
“ブレーキを掛けてもらえた”
という視点があることを学ばせて頂きます。
おやさまは、
『これといって用事はないが、あんたの顔を、
何となく見たくなったので呼んだんや。』
と、急に人を呼び出されることがありましたが、
そういう時は必ず、大難を小難無難へと「守るため」に、
時には「痛めてでも手を引く」こともあると仰せられました。
計算外の出来事や、思い通りに行かない時は、
「重り」ではなく「お守り」を心に掛けて頂いている時だと思い出して・・・
今日は、運命のお守りに気付ける一日にしたいですね。
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