高熱が出ると、平熱に戻ることを「ご守護」と言い、、、
不運が重なると、平穏に戻ることを「好調」と言い、、、
ケンカをすると、普通に戻ることを「仲良し」と言い、、、
どれも「元に戻った」だけですが「平熱・平穏・普通」の日々の中に、
喜び・幸せ・好調・ご守護が満ち溢れていることに気付かせて頂きます。
神様のお言葉にも、
【守護をしていることを知らん。】(M22.11.7)
【大難、小難としてある。】(M24.1)
とあるように、もうすでに神様は最大限のご守護をして下さっておられ、
限りなく難を小さくして下さっておられ、
私たちの器(徳)いっぱいの天の恵みを与えて下さっておられると教えて頂きます。
ただ、そのことに「気付いていないだけ」だと仰せられています。
おやさまは、神様のお働きについて、
『あると言えばある。無いと言えば無い。』
とも仰せられているように、、、
「ある」と思って見れば「十分足りている世界」であり、
「無い」と思って見れば「まだまだ不足の世界」であり、
どちらの世界で暮らすのかを決めるのは「心一つ」だと教えて頂きます。
昔の先生は、
『神様は365日お休みがない。そのことを忘れないために、
平熱が「36・5分」にしてあるのや。』
とも教えて下さっているように、何もない(難も無い)普通の日々ほど、
神様の最大限の守護を思い出して・・・
今日は、「すでにある世界」で暮らせる一日にしたいですね。
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