46.あかし

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ある言葉に、、、

 

『疲れた。』は、頑張った証。

『失敗した。』は、挑戦した証。

『緊張する。』は、本気の証。

『怒る。』は、真剣な証。

『泣く。』は、我慢の証。

『つまずき。』は、一歩踏み込んだ証。

 

という「証」を見ることで、その人の「良心」が見えてくることを教えて頂きます。

 

おやさまは、盗人の罪人にさえも、そうならざるを得ない「証」の方を見て、

『貧しさのあまり、心を沸かして盗むのであろう。その心が可哀想や。』

と仰せられました。

 

当時の厳しい官憲に対しても、そうせざるを得ない「証」の方を見て、

【反対する者も可愛い我が子。】(M29.4.21)

と、大きな親心で受け入れられました。

 

どんな時も、、、

【心を見定めて…治めて掛からにゃならん。】(M36.9.18)

と仰せられているように、、、

 

笑っていても「心では」泣いている人。

怒っていても「心では」謝っている人。

ぶっきらぼうでも「心では」寂しがっている人。

知らないふりして「心では」想ってくれている人など、、、

 

言動の奥にある「心では…」の部分を見合えた時に、

本当の治まりが生まれることを思い出して・・・

 

今日は、お互いの「証」を察し合える一日にしたいですね。

よかったら身近な人に届けてください
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この記事を書いた人

〜自然の理を真心で通る〜

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