32.拝む心

URLをコピーする
URLをコピーしました!

ある日、本席・飯降伊蔵(いぶりいぞう)先生が仕事場からいったん家に帰られると、妻のおさとさんが昼寝をしておられたそうです。

その姿を見た本席様は、『・・・昼寝で良かった。』と一言だけ仰せられたと聞かせて頂きます。

普通なら自分が疲れているときに相手が楽をしている姿を見ると、つい一言言いたくなるものですが、本席様は一度大切な人を失っておられる自身の体験から、

そこに居てくれるだけでありがたい。

元気で居てくれるだけでありがたい。

一緒に過ごしてくれるだけでありがたい。

と、「そこに居る」ということが決して当たり前のことではなく、『どれほど有り難いことか…』と、ここに思いを置いておられたと聞かせて頂きます。

おやさまは、『我が家に帰って・・・ガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。』と教えて下さり、、、

また、昔の先生は、

『家族の後ろ姿を拝めるようになれた時、どんなご守護も頂ける。』

とも教えて下さっているように、、、

そこに居てくれる本当の意味や、一緒に居れることの奇跡の確率が分かれば、

誰もが側にいる人を「拝みたくなる」と教えて頂きます。

おやさまは、家族について、

『恩の仕送りをして通るのやで。』

とも教えて下さっているように、何気ない日々こそ「拝み合い」の大切さを思い出して・・・

今日は、身近な人達の後ろ姿に手を合わせて通りたいですね。

よかったら身近な人に届けてください
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

〜自然の理を真心で通る〜

コメント

コメントする

目次
閉じる