あるお話しに、、、
『神様から愛されている人と、愛されていない人がいるのではなく、
愛されていると「感じている人」と、「感じていない人」がいるだけ。
神様に助けられている人と、助けられていない人がいるのではなく、
助けられていると「気付いている人」と、「気付いていない人」がいるだけ。』
と聞かせて頂き、、、
神様のお言葉にも、
【憎い可愛いの隔て無い。】(M20.10.23)
【隔て無いが神の道。】(M33.5.7)
とあるように、神様に「分け隔て」は一切無いことを教えられています。
さらにまた、、、
【守護していることを知らん。】(M22.11.7)
【これだけの事と思うなれど大難小難。】(M27.3.30)
と、守護が「無い」のではなく「気付いて無い」だけだと仰せられ、、、
それほど、私たちは常に「守護を受け取っている状態」だからこそ、
その守護が「当たり前になっている」ことに気付かせて頂きます。
神様は【欲に切りない】(10-4)とも仰せられており、
おやさまは『不足に思う日はない。』と教えて下さっているように、、、
不足感を感じる時は、いったん「当たり前」を見直して、
今ある「有り難い」に目を向ける時であると教えて頂きます。
「十」まで満たされて『有りが十』と言うのか、、、
「難」しい中でも『有り難う』と言うのか、、、
天に響く「ありがとう」は、喜び難い中での『有り難う』だと思い出して・・・
今日は、守護を感じる心・気付く心を育てていきたいですね。
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