『人間は、汚いものを出しながら、キレイに生きていくもの。』
と聞かせて頂き、私たちは「排泄物」や「毒素」を出すことで、
キレイな身で生きられるように、、、
自分の「未熟さ」や「弱み」をさらけ出すことで、
キレイな心で生きられると教えて頂きます。
「欠点」は「欠かせない点」と言われ、
「ダメ」は助け合う「タメ」にあるとも言われ、
自分が感じている「汚点」は、むしろ
“キレイに生きるためにあるもの”
と、認識し直すことの大切さを学ばせて頂きます。
昔から、「水清ければ魚(うお)棲(す)まず」と言われ、
キレイすぎる(完璧の)中では、誰も心地良く棲めないように、、、
「妥協点」を互いに持ち合うことが、楽しく暮らせる元だと学ばせて頂きます。
神様は、、、
【悪いところも、善いところもある。】(M22.1.24)
という大前提を教えられた上で、
【見逃しもせにゃならん。】(M30.2.1)
と、時には片目を閉じる思いやりも必要であり、
【一度では分からん。】(M20.7.17)
と、すぐに理解し合えることなどなく、、、
【堪忍というは誠一つの理。】(M26.7.12)
と、「許す器」を作ることが、
誠の道(幸せの道)であることを教えて下さっています。
自分自身のことも、人のことも、きっと、おやさまだったら、
『あれも、良いところがあるでなあ。用い合うという理を思案せ。』
と、優しく諭して下さることを思い出して・・・
今日は、「妥協愛」を学べる一日にしたいですね。
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