ある時、おやさまに、
『神様は、人間の陽気遊山が見たいはずなのに、なぜ人に苦労をさすのですか?』
と尋ねた人がいました。
すると、おやさまは、
『あんた、苦労艱難したればこそ神さんが分かったのやで。
神さんがな、世界だすけの人衆にしてやろうと思って苦労艱難さしたんやで。
これから、どれだけの働きさすやも知れん。それが楽しみやで。』
と仰せられ、「苦労」の目的とは、神様(真理)と繋がるため、人の心を理解するため、
人助けの力を育てるため…という「誠の人・愛の人」になるために、
苦労の道中も必要であることを教えて下さいました。
おやさまご自身も、
『貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。』
と、自ら苦労の道中を歩まれたように、「苦労の味」を知ることは、
何よりも心の財産になることを学ばせて頂きます。
神様のお言葉にも、
【涙をこぼして越した日もある。種を蒔いたから今日の日や。】(M24.1.28)
とあるように、「涙」は心を育てるための水やりとなり、
『このための苦労だったのか。』と、必ず答えが咲く時が来ることを教えて頂きます。
今の辛さ、苦しさ、悲しさ、痛さ、悔しさ、もどかしさ、、、
そのすべてが「誠の人・愛の人」になるための必要な準備だと思い出して・・・
今日は、どんな今の苦労も認めながら通りたいですね。
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