昔の先生は、何事もピッタリの損得計算をするよりも、
『割に合わないことをしておきなさい。』
と教えて下さり、その割に合わない分は、
自分の「幸運貯金」になることを教えて下さいました。
損をした、無駄をした、やり過ぎた、といった「はみ出た分」は、
【決して尽くし損にならん。】(M38.10.22)
【働き損という心は…思わぬよう。】(M30.11.19)
と神様は仰せられ、おやさまも、
『人に物をやっても、やり過ぎやなかったかと、
御礼を受けるような心やったらいかんで。』
と教えて下さっているように、
・お礼が無いならこれ以上は損かな…。
・こんなにやってあげたのに無駄だったかな…。
・ちょっと余分に働き過ぎたかな…。
といった「良い損・良い無駄・良い余分」は、
『皆、あんたのものになるのやで。』
『せいぜい働いておきなされや。先になったら難儀しようと思たとて、
難儀できんのやで。』
と、我が身・我が家の「幸運貯金」として、本当に大事な時のために、
神様が管理して下さっていることを思い出して・・・
今日は、損得の計算心を見直せる一日にしたいですね。
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