85.神様の代わり

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ある時、おやさまは、

参拝に来られた人に、ご自身で柿の皮をおむきになって、
『さあ、おあがり。』と差し上げられました。

 そして、相手が食べ終わる頃を見て、『さあ、もう一つお上がり。』と
次の柿をむいて与えられ、何度も『遠慮なくおあがり。』と次々と柿を差し上げられました。

相手は『もう十分に頂きました。』と満足をされると、またさらに両手いっぱいのお土産を与えられた・・・

という逸話があります。

 

おやさまにとっての「与える」とは、
相手の心が『もう十分(満足)です。』となるまで「与え切る」ことだと学ばせて頂きます。

神様のお言葉にも、

【十分に満足を与えてやってくれ。】(M37.3.26)

【満足さして連れて通るが親の役や。】(M21.7.7)

と、「神様の代わり」とは「人に満足を与えること」でもあり、

「与える」というのは形や物だけではなく、

【ようこそと言うて、言葉の満足ささにゃならん。】(M32.2.2)

と、温かい言葉や優しい言葉を与えることも「神様の代わり」となり、

【満足から、どこからでも理が返る。これ一つ悟ってくれ。】(M32.11.15)

と、人に与えた満足は、いずれ自分自身の満足となって返ってくることを思い出して・・・

今日は、神様の代わりをつとめさせて頂ける一日にしたいですね。

よかったら身近な人に届けてください
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この記事を書いた人

〜自然の理を真心で通る〜

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