ある時、おやさまが、
『今すぐお屋敷に呼んでほしい人がいる。』と仰せられ、突然呼び出された人がいました。
その方は、『一体、何事だろう。』と途中で仕事を切り上げて急いでお屋敷へ駆けつけると、おやさまは、『これといって用事はないが、あんたの顔を何となく見たくなったので呼んだんや。』と仰せられました。
その方は内心、『それなら仕事をしておけば良かった…。』と思いながらまた仕事場に戻ろうとすると、帰り道にばったりと知り合いに出会い、
『さっきお前さんの仕事場で大変な事が起きて、もしも、あのまま仕事を続けていたら大事故に遭っていたかもしれない。』
と聞き、また急いでお屋敷に戻り、おやさまに助けて頂いた御礼を申し上げると、おやさまは、
『神様はなあ、あんたをたすけようと思うて呼ばはったんや。
素直なあんたの心が、たすかったんやで。』
と、にっこり笑って仰せられました。
神様のお言葉に、
【守護をしていることを知らん。】(M22.11.7)
【大難、小難としてある。】(M24.1)
とあるように、私たちは、いつ、どこで、どんな形で神様に守って頂いているか分からず、思いもよらない計算外・予定外の中に、ご守護の可能性があることを学ばせて頂きます。
素直さとは「素早さ」とも言われるように、、、
【聞いてすぐ、見てすぐ運ばねばなろうまい。】(M23.7.7)
と、神様の御用には、出来るだけ素早く(素直に)動くことが、
「無難」へとお守り頂ける道だと思い出して・・・
今日は、計算外の守護を悟れる一日にしたいですね。
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