おやさまが、貧のどん底をご家族で通られていた時に、その様子を近くで見ていた人が、何か力にならせて頂きたいと思い、たくさんの「お米」を持ってお屋敷にお参りに行かれると、おやさまは、一度に沢山のお米よりも、
『毎日、毎日、運んでくれるのが結構やで。』
と、少しずつで良いから、毎日その心持ちを続けて運んでほしいと仰せられ、
一度で大きな事をするよりも、
“小さな真実を日々運ぶ”
この「日々の理」を大変お喜びになられました。
神様のお言葉にも、
【小さきところから、長う続くが第一。】(M22.2.15)
【日々の理に、一粒万倍の理。】(M25.1.14)
とあるように、積み重ねた日々の「軌跡」に、
「奇跡」が与えられることを教えて下さいました。
反対に神様は、、、
【大層は受け取れん。】(M24.11.22)
【日々の理が無くば理が消える。】(M27.3.6)
とも仰せられており、ドカンと一発打ち上げ花火のような、
華やかな事柄に人生の価値を求めてしまいやすいものですが、
【日々の理で受け取りてある。】(M37.10.22)
【救かるは日々の理という。】(M26.4.29)
と、天にとっての価値・見定めポイントは、
“地道なプロセス”
この「日々の理」の積み重ねによって、
「天の与え」の大きさが決まることを教えて頂きます。
【誠一つ積み重ね。】(M21)
と、些細なことでも、目立たないことでも、ほんの少しずつからでも、、、
「自分にとっての誠意」を日々コツコツと積み重ねていくことが、
「万倍の幸せ」に向かう道だと思い出して・・・
今日は、「日々の理」を共に育てたいですね。
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