105.日々の理

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おやさまが、貧のどん底をご家族で通られていた時に、その様子を近くで見ていた人が、何か力にならせて頂きたいと思い、たくさんの「お米」を持ってお屋敷にお参りに行かれると、おやさまは、一度に沢山のお米よりも、

『毎日、毎日、運んでくれるのが結構やで。』

と、少しずつで良いから、毎日その心持ちを続けて運んでほしいと仰せられ、

一度で大きな事をするよりも、

“小さな真実を日々運ぶ”

この「日々の理」を大変お喜びになられました。

神様のお言葉にも、

【小さきところから、長う続くが第一。】(M22.2.15)

【日々の理に、一粒万倍の理。】(M25.1.14)

とあるように、積み重ねた日々の「軌跡」に、

「奇跡」が与えられることを教えて下さいました。

反対に神様は、、、

【大層は受け取れん。】(M24.11.22)

【日々の理が無くば理が消える。】(M27.3.6)

とも仰せられており、ドカンと一発打ち上げ花火のような、

華やかな事柄に人生の価値を求めてしまいやすいものですが、

【日々の理で受け取りてある。】(M37.10.22)

【救かるは日々の理という。】(M26.4.29)

と、天にとっての価値・見定めポイントは、

“地道なプロセス”

この「日々の理」の積み重ねによって、

「天の与え」の大きさが決まることを教えて頂きます。

【誠一つ積み重ね。】(M21)

と、些細なことでも、目立たないことでも、ほんの少しずつからでも、、、

「自分にとっての誠意」を日々コツコツと積み重ねていくことが、

「万倍の幸せ」に向かう道だと思い出して・・・

今日は、「日々の理」を共に育てたいですね。

よかったら身近な人に届けてください
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この記事を書いた人

〜自然の理を真心で通る〜

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