昔の先生は、
『苦労には、「因縁の苦労」と「理の苦労」。この二つしかない。』
と教えて下さり、
『人のことで、しんどい思いをさせて頂いた時は大きく喜びなさい。
そのしんどさは、本来自分のことで泣かなくてはいけない苦労と、
取り替えて頂いているのや。』
とも教えて下さり、人に真心の時間を「掛ける」ほど、
自分の難儀の時間が「欠ける」と聞かせて頂きます。
おやさまは、
『人の子を預かって育ててやるほどの大きな助けはない。』
とも仰せられているように、人の「お世話取り」ほど、
「大きな助け」=「大きな自分の助かり」は無いと教えて下さっています。
また、神様のお言葉にも、
【働き損という心は、さらさら持たぬよう。思わぬよう。】(M30.11.19)
【決して尽し損にならんほどに。】(M38.10.22)
【何にも無駄の理になりゃせん。】(M33.4.10)
と仰せ下さっているように、無駄働き・尽くし損のように思えることがあっても、
すべて未来のための「徳・得」に変わることを思い出して・・・
今日は、理の苦労を喜べる一日にしたいですね。
コメント